あなたは、世の中生き辛いな。嫌なことが多いな。と感じることはありませんか?
それは何も悪いことではありませんが、考え方が影響しているのかもしれません。
私も「世の中不公平だ。」「既得権益が。」とか自分の思うようにいかないなぁと思っていましたが
この本を読んで「腐らずに、自分に出来る事をひたすら続けていくのみだ。」と肩の力をある意味抜くことができたので、ご紹介します。
5分程度お付き合いいただき、心の動きについて考えていただければ幸いに思います。
ヴィクトール・E・フランクルさんの【夜の霧】というタイトルの本で一言でいうと【ユダヤ人の医者、心理学者で強制収容所を経験した人の人間の心の動きについての話】です。
この記事を読んで頂くことで、人間の心について考える機会を持っていただけますと幸いです。
また感想などいただけると嬉しく思います。
※ここからは読んだ私の個人的見解も多く含まれている事ご了承ください。
彼(ヴィクトール・E・フランクル)曰く「収容所での体験を知ってほしい」ではなく「どんな状況でも人は前を向ける」という事を伝えたい。というメッセージなのだなと個人的には感じました。
大まかななストーリーについてご紹介。
医者として、不自由ない生活をしていたヴィクトール・E・フランクルがある日、ユダヤ人だという理由でナチスに強制収容所へ連行された。
そこでは、過酷な労働と、ガス室にいつ送られるか分からないという不安と日々隣り合わせの生活だった。
両親や、妻も別々の収容所へ連行されて、絶望を感じていたでしょう。
後に分かるが、新婚だった妻も両親も収容所を出た時には亡くなっており、フランクルと会うことは二度となかった。
そんな中でもヴィクトール・E・フランクルは、生きる事に対して自分が何が出来るかをひたすら考えて日々を生きた。
それは、ただ単にポジティブなどというひとことでは表せれるものではない。
自分自身も明日死ぬかも分からないという極限の状況で被収容者である友人の心の動き、看守である監視人の心の動きも
読み取り収容所の中での体験を、自分の中に落とし込んでいった。
その結果、今回紹介する「夜の霧」という本が書かれ、世界中に拡がってベストセラーとなっている事も事実です。
彼が、どんな状況でも腐らずに前を向いた結果として、私も本を手に取る事が出来た。
強制収容所の中での心の動きについて
ヴィクトール・E・フランクル曰く、収容所の中は絶望だったようだが、その厳しい環境下でも、日々、小さな希望を感じていた。
(例えば、労働がない日や、少し多めの食事にありつけた日などは、ありがたみを感じたという。)
夜の霧より引用
そうフランクルも言っている通り、一番先に気力がなくなった人は
「あぁ、もう駄目だ。無気力だ。こんな状況で目的なんてない。どうあがいても無駄だから流れに身を任せよう。」
という人が一番に死に近づいたという。
フランクル曰く【収容所の中】だろうが【収容所の外】だろうが、人生に目的がない人は周りや環境に流され、現実逃避をして毎日を過ごす。
どんな環境でも「これは試練だ。与えられた環境で一生懸命であろう。」という人に比べると、成長に差が出ると。
これは、収容所の外でも同じで、流されるまま年を重ねシワが増えた人が経験値が高いとは言えない。
収容所を出てからの生活
収容所を出て以降は、彼の友達にも希望に満ちた日が続くかと思ったが、麦畑など自然を踏み荒らしても平気だったり、悪い意味でのトラウマが残り続けた。
(「俺はひどい仕打ちを受けたからこれくらい許されるさ!」という心理。また中には、塀の外に夢に見た幸せはなく、外に出れたのに絶望する人もいたという。)
日常の社会でもこういう人はいるのでは?
ブラック企業で、散々嫌な思いをしたくせに、いつの間にか後輩にも厳しく
当たってしまう人間などは、意外と多いと思います。
親が暴力を振るって育てた子が、自分の子にも同じことを繰り返したりするのも
ある意味同じ心理なのかもしれない。
本来は、ひどい仕打ちを受けたからといって他にひどい仕打ちを他にしていいという理由にはならないが
心に傷を負っておりそういう思考回路になっています。
この人も元は麦畑を踏み荒らすように人物ではなかったとのこと。
どうすれば、心の力が低くなっている時でも生きる事を頑張れるのか?
心が弱っている人には伝えなければならない。フランクルも次のような事を言っています。
「生きる事が自分に何をしてくれるかという期待」が重要なのではなく
「自分が生きる事で何をできるかという期待」が重要なのだと。
これは一見難しいように見えるけれども、
【もらえるには?】ではなく【与えるには?】であるべきということか。
「世の中はきっと生きていればいいことはあるさ!」とよく聞くけど、本当は危ない言葉だと感じた。
「世の中には期待し過ぎず、この生きている間に自分に何ができるだろうか?」に、ただただ一生懸命である事が大事。
というメッセージが含まれているのだと感じた。
人の持っている本質について
研究者であり、医者であり心理学者の権威ある彼ですら収容所の中、解放されてからも、横柄になる事はなかった。
自分が生きる事で何をできるかをひたすら考えて紳士な生き方をしていたからです。
これには学ぶべき点が多い。いろいろなモノに流されるのではく、世に期待するでもない。
自分が出来る事にただ集中する事の大切さと精神健康性を学べた。
つまり皆さん体験した事があると思うけれど
「ワシは長年生きてきた!年寄りの言う事は聞くもんじゃ」とか
「俺は権威ある人物だ!間違いはない!」
という人ほど、自信がないからそういう発言になるわけで
本物感もない。という真理は当たっているのかもしれない。
本物はただひたすら「自分に何が出来るかな?」を考えてひたむきに行動しています。
フランクルが言っている世の中への希望とか絶望を図にしてみた。
フランクルの言ってる事を踏まえて、人生のイメージを図にしてみた。
おそらく、大小の違いだけで、生きてる限りどんな生き方しても希望と絶望が存在しています。
でも、ほとんどの人間は「裕福にさえなれば・・・。」とか思ってる。
絶望から逃れるではなく、良い意味で期待せず腐らず頑張るというのが大事なのか。
繰り返して、まとめとさせてもらいますが、
「世の中が自分に何をしてくれるか」という期待を持って人生を歩むのではなく
「自分が世の中に対して何ができるかな」という希望を持って人生を歩むことが大切。
とヴィクトール・E・フランクルは伝えたかったものと、自分は心に落とし込みました。
この本を読んで、あなたも是非心と向き合う時間を持ってみてください。
読んでいただけたら感想などでもいただければ嬉しく思います☆
コメント